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一緒に考えてみましょう


一緒に考えてみましょう。

「どうやって神様のみこころを知ることができますか?」 よくメッセージでもみこころを求めていきましょう。ということを聞きます。そして、みこころは聖書の中に書いてあります。と聞きます。確かにその通りなのですが、具体的な細かいところまでは記されていません。例えば、「今日は、どんな服を着るのか?」「今日の晩御飯は何を食べるのか?」このことについて神様のみこころは、聖書には記されていません。

では、どうやって私たちは、様々な状況の中で、神様のみこころかどうかを知れば良いのでしょうか?

そのために、確認すべきことがあります。

それは、

一つ目にあなたが、求めていることが罪ではないかを確認することです(Ⅰテサロニケ4:3)。

この時の気をつけるべきことは、聖書が明確に罪だと教えているものは、当然して御心ではありません。しかし、良いと思えることでも、動機を確認する必要があります。自分の欲を満たすために求めているのか、自分の考えを押し通そうとしているのかを考える必要があります。

そこで、二つ目に確認することは、あなたが、求めていることが神様を喜ばせようとしていることか、神様の栄光を現すことなのかを確認することです(Ⅰコリント10:31)。

もし、それでも求めが与えられないのでしたら、それは、神様のみこころではなかったのか、神様の時ではなかったということになります。いつもすぐに、神様のみこころが示されるわけではありません。

大切なことは、常に、「私が、今しようと考えていることは、イエス様が求めておられることなのだろうか?」ということを考えることです。

この時、この瞬間、この状況の中でイエス様だったら、どうするだろう?これを常に考えることでみこころかどうかを判断することができるようになっていきます。

もちろん、簡単ではありません。そのためには、あなた自身がみことばを愛し、みことばによって養われ、みことばに生きる者となって行くことです。

今日も一日、愛する主のみこころを求めて歩みましょう。

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