一緒に考えてみましょう。
一緒に考えてみましょう。
「私たちが、救われた目的は何?」
これは、前回見ましたようにエペソ1:11~12に私たちが、救われた目的は、神様の栄光をほめたたえる者となるということを教えられました。救われた私たちが、神様の素晴らしさを現わし、神様の素晴らしさがほめたたえるようになることが目的です。言い方を変えれば、「礼拝者となるために救われた」ということです。
このことから、「礼拝とは何か」について一緒に考えましょう。
聖書は、次のように教えてくれています。
『あなたがたのからだを神に受け入れられる、聖い、生きた供物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。』(ローマ12:1)
「霊的な」という言葉は、「道理に適った」という意味でも使われています。
道理に適った礼拝とは、どのような礼拝なのかをパウロは、教えてくれています。
礼拝は、捧げるものです。
自分自身を主に捧げて、罪から離れ、主に従う生涯こそが、神様の救いの恵みに対するふさわしい礼拝なのです。
ですから、前回の動画でもお伝えしたように「イエス様を信じても、これまで通りに、自分の好き勝手に生きること」はできないのです。なぜなら、私たちの救われた目的は、主の栄光をほめたたえることだからです。
私たちは、自分の生き方を以って、愛する救い主を礼拝し続けるのです。
クリスチャンは、救い主礼拝するを一番に求めるのです。真の神様の栄光をほめたたえることに専心するのです。
このことは、まだ考えなければならないことがあります。次回も一緒に考えていきましょう。
今日も一日、主の栄光をほめたたえつつ、歩んでいきましょう。