一緒に考えてみましょう。
一緒に考えてみましょう。
今日は、前回の続きで「礼拝とは何か」について一緒に考えましょう。
前回見ました通り、聖書は、次のように教えてくれています。
『あなたがたのからだを神に受け入れられる、聖い、生きた供物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。』(ローマ12:1)
「霊的な」という言葉は、「道理に適った」という意味でも使われています。
道理に適った礼拝とは、
①礼拝は、捧げるものです。
②自分自身を主に捧げて、罪から離れ、主に従う生涯こそが礼拝です。
ですから、これまで考えて来た通り「イエス様を信じても、これまで通りに、自分の好き勝手に生きること」はできないのです。
クリスチャンは、いのちをかけて私を救ってくださった主を礼拝することを一番に求めるのです。真の神様の栄光をほめたたえることに専心するのです。
では、当然の礼拝を捧げるためにどうしたらいいのでしょうか。
続きのローマ12:2に次のように書いてあります。
『この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。』
パウロは、自分を変えてもらうように聖霊の助けが必要だということを教えています。私たちの心を変えるのは、聖霊の働きです(参照:Ⅱコリント3:18)。そして、私たちは、考えることが大事です。
「思い」を変えなければいけません。救われる前の私たちは、自分のために自分の心に従って生きてきました。しかし、救われた私たちは、神の御心に従って生きていくのです。御心は、神の言葉が書いてある聖書に記されています。
ですから、毎日の与えられる選択の中で、「今、自分がしようとすることは、イエス様が喜んでくださるのかな?」と考え、イエス様の求めておられること(みこころ/みことば)を選択することです。そうするなら、道理に適った礼拝を捧げることができるのです。
今日も一日、主の御心を求めつつ、主の栄光をほめたたえ歩んでいきましょう。