一緒に考えましょう。
今回は、5つのソラの一つ「ただキリストのみ」について考えたいと思います。
これまでは、「ただ聖書のみ」「ただ信仰のみ」「ただ恵みのみ」を話してきました。
(別々ではなく、つながっているのです。)
あわれみ深い神様が私たちのために救いをしてくださった「恵み」が「信仰」を与えてくださったのです。では、何の「信仰」なのかを考える必要があります。それは、イエス・キリストを信じることなのです。「信じる」と言っても、ただ知っていることではないのです。それは、イエスを「主」と告白し、神様がイエスが死者からよみがえらせたことなのです。
なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。(ローマ10:9)
イエス・キリストは、十字架で死なれたのです。それは、私たちの罪の身代わりをしてくださったのです。私たちの罪は、創造主である神様に従わず、自分の欲の中(自己中心)で生きていたことです。だから、わたしたちは神様から御怒りを受けることが当然であったのです。
しかし、あわれみ深い神様は私たちの救いのために、愛する御子イエス・キリストを世に遣わされたのです。
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(ヨハネ3:16)
「ただキリストのみ」が唯一の救いの道なのです。
例えば、カトリックの場合は「ただキリストのみ」と教えていないのです。「キリスト」と「行い」を要求されていたのです。その人が「救い」が達成せず死なれた場合、他人(遺族)が達成せず死なれた人のために「救い」を得させるために行なう必要があると教えているのです。
その教えは、聖書の教えではないのです。聖書が教えているのは、「ただキリストのみ(だけ)」です。
今日も一日、救い主イエス・キリストに感謝しましょう。
皆様、神の祝福がありますように。