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一緒に考えましょう。(詩篇1篇1~3節)①

あなたにとって、幸いであることは何でしょう。人にとって『幸せになるもの』ことって何でしょう。

国語辞典で「幸い」を調べてみると、運がよく、恵まれた状態にあること。しあわせ。幸福。

では、人は「幸い」という基準(考え)を自分の感じることで判断するのです。すなわち、自分がどう思うか?どう感じるか?を自分の基準で判断して「幸い」と判断するのです。

例えば①、「お金」

一万円?十万円?百万円?千万円?一億円?一兆円?

あなたにとってはいくらでしょうか。(0円でも幸せだと言う人もいます。)

例えば②、「食べ物」

味がうまい。量が多い。人のサービスがいい。店の雰囲気がよい。など…。

「幸せ」は、一人一人の考えが違っているし、同じ人もいます。世の人々は幸せになるために、必死でがんばっています。でも、永遠的に幸福を手に入れることが難しいのです。なぜなら、一時的に幸福であったとしても、すぐ消えるからです。どうやったら、幸福になれるでしょうか? 永遠的に幸福になれるでしょうか?聖書からすばらしいことを教えています。

詩篇1篇1-3節

『1 幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、 あざける者の座に着かなかった、その人。

2 まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。

3 その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。』

神様が人を見て、『幸いなことよ』と記されています。それは、人の考え(基準)ではないのです。

神様が『幸いなことよ』とは何かをしばらくの間、考えていきましょう。

あなたの人生にとって、神様が『幸い』であることを宣言されている者となってほしいからです。

皆様、神の祝福がありますように。

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