一緒に考えましょう。(詩篇1篇1~3節7)
一緒に考えましょう。(詩篇1篇1~3節⑦)
2 まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。
3 その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。
詩篇1:2-3
前回は、幸いな者がしない特徴を話しました。
今回は、幸い者がする特徴を一緒に考えていきましょう。
2. 幸いな者がすること
2 まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。
2つの肯定的(やるべきなこと)を書かされています。
その前に、“まことに”とは、本当に大切なことを強調していることがわかります。
予想して書いているわけでもありません。
ハッキリと「これだ!」と間違いありません。と確信を持っているのです。
『その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ』
幸いな者がする2つがあります。
a. 主のみことばだけを喜んでいる
b. 主の教えを口ずさんでいる
1つ目は、a、主のみことばだけを喜んでいる
「主のおしえ」とは、「律法(トーラー)」、「神の御言葉」と訳することができます。
「教え」とは、知識や技能を身につけるように導く。戒める。の意味です。
神様が命じていることや主の律法などが、「主のおしえ」なのです。
今、私たちが持っている聖書は、神のみことばであり、「主のおしえ」です。
(※日本語に記されてないところがあり、ヘブル語では、「~だけ」を記されているのです。)
主の教えの中で自分の好みだけを受け入れるで喜ぶわけではありません。自分が一部の主の教えだけは受け入れないから喜びませんでは、間違いです。
主の教えだけを喜びとするもの以外には何にもありません。「主の教え」より勝っている喜びはどこにあるのか?みことばのみが喜ぶのです。なぜなら、神を喜ばせる正しい生き方(礼拝)を行なうことができるからです。あなたの人生の喜びは何ですか?主の教えであれば、毎日聖書を読むのです。
例、携帯(スマホ)を喜んでいる人。
携帯(スマホ)は何でも入ってるのです。LINE(メール)をするとか、写真をするとか、ゲームするとか、ニュースや地図やインターネットを見るなど、何でもあって、すごく便利なものです。
携帯(スマホ)を置き忘れたり、無くしたりしたら、不安となるのです。だから、携帯(スマホ)を探すのです。携帯(スマホ)を見つけたら、安心するのです。なぜなら、その人は携帯(スマホ)を喜ぶからです。
それ以上に、私たちは「主のおしえだけ」を喜んでいるでしょうか?
今日も一日、「主のみことばだけを喜び」をもって生活していきましょう。
皆様、神の祝福がありますように。