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一緒に考えましょう。(詩篇1篇1~3節11)


一緒にに考えましょう。(詩篇1篇1~3節 11)

その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。(詩篇1:3)

今回、幸いな者の歩みをしていた人がその結果を一緒にみていきましょう。

C、”幸い”な者の歩みの結果(v3)

神様からの祝福をたくさんいただいているのです。

「その人」は、1~2節に記されていることです。それは「しないこと」と「すること」をしている人のことです。

「水路のそばに植わった木のようだ。」

イスラエル国は乾き果てた荒野のところです。日本国と違うのです。その国は、暑い時期で乾きやすいところです。水路のそばに植わった木のようだと聞いたら、ええなぁ~と思う。

「植わった」とは、木の根が深く水路のそばにあることを確認しているので、必ず枯れることはないのです。それは植えられている木のことで、木は勝手に育てたではなく、誰かがどこかに植えられたのです。もちろん、これは「木」ではなく、「人」のことです。「人」は神から祝福をもらっていることがわかるでしょう。それは「人」は、神によって罪と荒野から取り出され、神の庭に植えられたのです。

「水路のそば」とは、水を送るための人工のみちであって、そのそばに植えるのです。植えられた「木」にとって困ることは一つもないのです。乾燥機構を起こっても、問題ないのです。また。日照りが続いても、問題ないのです。そのような人となるのです。

何とすばらしい祝福でしょう。なんと恵みでしょう。神様は「幸いな人」にずっと祝福しているのです。

今日も一日、神様からのたくさんの恵みを受ける人となっていきましょう。

皆様、神の祝福がありますように。

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